はじめに
北海道神宮が北海道で一番のパワースポットで縁切り神社ということを、実はこの時は知りませんでした。離婚成立後にフォロワーさんから教えてもらって知り、非常に驚きました。だって、即効ご利益があったのですから…!
5月4日(令和初のゴールデンウィーク)、トミカ展に行った後、ちょっと予定を変更して円山でランチをすることにしました。
この日は北海道の5月にしては非常に気温が高く、どこも混んでいて、昼時の飲食店に入るのは困難でした。なので、宮の森まで飲食店を探しにいくことにしたのですが、息子はこの日、早起きしていたので、珍しくぐずってしまい、おんぶで坂の上まで上るはめに(途中で寝てしまい腰に激痛が走る笑)。
ひーひー、汗だくになりながらタカトシランドで紹介されてたビルのお寿司屋さんに入る。
海鮮ランチを食べ終え、店を出たら、北海道神宮が目に入ったので、何となく参拝することになりました。息子が幸運を呼んだといっても過言ではない。
北海道神宮とは
由緒
明治2年、当時「蝦夷地」等と呼ばれていた北海道は、日本の国土としてより明確にする為に、「北海道」と名づけられました。そして同じ年の9月1日に、明治天皇の詔(みことのり)(天皇のおことば)により、東京で「北海道鎮座神祭(ほっかいどうちんざしんさい)」を斎行(お祭を行う事)して、北海道の開拓・発展の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の三柱の神々(開拓三神(かいたくさんじん)といいます)が鎮斎(ちんさい)されました。
その御霊代(みたましろ)(神様が宿った依代。鏡や剣等々…)は東京から函館へ、そして札幌へと移されました。明治3年5月には仮社殿が建てられましたが、それは現在の鎮座地(神様の住まれる神社の建っている所)ではありませんでした。現在の位置に社殿が建てられたのは、明治4年のことで、この年に「札幌神社」と社名が決まりました。
そして開国を決断され、西洋の文明を取り入れて現在に至る日本の礎を築かれた明治天皇を昭和39年増祀(ぞうし)(その神社にお祀りする神様が増えること)し、社名も「北海道神宮」と改称しました。
約18万平方メートルの境内地は、桜の名所としても知られ、市民に親しまれていますが、現在の北海道神宮の社殿は、昭和49年放火に遭い、昭和53年に復興されたものです。引用:北海道神宮HP
御祭神
まずは、北海道神宮の限定商品!六花亭「判官さま」を食べた
宮の森側(西駐車場)から入ると、六花亭の「判官さま」に行列ができているのが見えた。
これが噂の「判官さま」かぁ~~~!!
ものすごくおいしいと聞いていたので即並んだ
「判官さま」とは、マルセイバターサンドで有名な六花亭の北海道神宮店だけで食べられるそば粉入りのお餅です(現在は一個100円。数年前まで無料で配っていました)。
焼き立ては外がパリッとして、中にはお餅とたっぷりの甘さ控えめなあんこが包まれています。そば粉の風味がうまみを引き立てていて何個でも食べられる。
※ただし、そば粉アレルギーの方は要注意です。
「判官さま」はお土産で買って帰ることはできません。その場で五分以内に食べなければ、お餅が固くなってきて味が落ちてしまうと、店員さんに言われました。
その場で焼き立てを渡してくれるので、店員さんが常に軽やかなテンポで焼き続けています。
想像以上においしくて、感動。これは、並んででも食べたくなる。納得。その場でないと食べられないのがまた格別だ。
はふはふしながら息子もおいしい!!と絶賛していました(^^)
ほうじ茶が無料で飲めます。
「離縁の鳥居」と言われる 第二鳥居をくぐる
「判官さま」を食べた後は、本殿の前を散歩。桜が満開で、とても綺麗でした(北海道は5月が見頃)。天皇陛下御即位の奉祝で、おおぜいの方が参拝に訪れていて、とてもおめでたい空気。自分もあやかりたいなぁと思いながら、歩いていました。
そして何も考えずに、 第二鳥居をくぐって北海道神宮を出ました。
お陰でその10日後、悪縁が切れました。
先が見えず、絶望的だった離婚裁判が自分の希望がほぼほぼ通る形で突然終了し、離婚が成立。
さいごに
離婚が成立して暫く経ってから、フォロワーさんが北海道神宮が縁切り神社であると教えてくれて、驚きました。
私はきっと、ご利益があったのですね。良い縁も、悪縁が切れてから訪れると言いますし、令和は良いスタートとなりました。
さすが、北海道No.1のパワースポット!!
離活中の道民の奥様、これから観光で札幌に来る機会がある離活中の奥様は是非、北海道神宮へ足を運んでみてください。
密かな悪縁切りスポット北海道神宮を参拝して離婚できた話でしたっ☆